「砂のミラージュ」:映画チラシ・第190
2010年7月22日http://cafe-mania.net/
「砂のミラージュ」:映画チラシ・第190回目
「砂のミラージュ」 有楽町そごう側 スバル座“幻想の砂漠が物語る 美しくも残酷な至上の愛! たわわな葡萄の季節は過ぎ 砂はひめやかに風紋を織る――― ”“ペルーの鬼才ゴドイが底知れぬ生の謎を 映像技法の限りをつくして 燃えたつ蜃気楼に映しだす衝撃の名篇!” (誰が書いたか知らねども!表に掲載されてるコピー文っす!)―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 裏面に、よりますとっ!■解 説 ミラージュ・・・・・・・・・・・・・・・蜃気楼 南米の砂漠のなかに、少年がみた不思議な蜃気楼。一人の男が、ひたすら砂漠を走り続けている。執拗なその幻影が、少年の心をうばい、出生以前の謎めいた過去へと少年をひきもどす。 「あの人は、一体誰だ?」 その呟きとともに、死者たちの住む過去に向う少年。 もう一人の少年がいる。貧しい生活のなかで、プロの選手になることを夢みて、サッカーに熱中している。その澄んだ眼は、未来の脱出口だけをみつめている。 二人の少年の意識と行動の対比を通じて、かって砂漠に生きた人々のロマンと、いまもなお砂漠にとり残されたように生きざるを得ない人々の、重い現実が描かれる。 限りなく美しく、同時に底知れない不気味さをたたえた砂漠の地表に、美しい愛のいとなみが、残酷な死が、音もなく移りかわる歴史が、未来に向う生の意志が、映像技法の限りをつくした鮮烈なイメージで描きだされる。 監督・脚本は、「みどりの壁」ではじめて日本に紹介されたペルー映画の鬼才アルマンド・ロブレス・ゴドイ。「みどりの壁」でみせた新鮮な映像、シャープな現実裁断が、ほとんどここでは色あせてみえるほど、その映像は凄味と深度を増し、人間の実存を見据える作家眼は、比類のない冷徹さで観る者に迫る。 撮影は実兄のマリオ・ロブレス・ゴドイ。音楽監督はエンリケ・ピネラ。「みどりの壁」の音楽監督でもあり、この映画ではヒット曲「コンドルは飛んでゆく」の作曲者ダニエル・アロミア・ロブレスの荘重にして流麗なテーマ曲をはじめとして、ギタリスト、ラウル・ガルシアの演奏によるペルーの16、17世紀の民謡を巧みにちりばめている。 72年シカゴ国際映画祭グランプリを受賞した衝撃的名篇であり、日本での公開を多くの人々から待望されていた作品である。■物 語 砂漠。 荒涼たる砂漠にポツンと取り残された小さな村落。そこに住む少年ヘルナンは薄明の中を一人走っていた。家族はまだ眠っている。少年は砂の上に簡単なゴールが立っているだけのサッカー場についた。いまのヘルナンにとってサッカーだけがすべてだった。貧苦から身を起し、サッカーの花形選手になって財をつくった先達が脳裏にうかぶ。 ボールを追い、ボールを蹴る無心の状態の中で少年は自分をとりまくすべてのことを忘れる。貧しさ、淋しさ、悲しさ、・・・・・・・・・。この日一家は少しばかりの希望を求めて首都のリマへ旅立つことになっていた。ヘルナンにとって村でさいごの試合なのだった。 彼にはホアン・ホセという親友がいた。 ホアンは彼と同じ十二才。きりりとした容貌の魅力的な少年である。彼の生活はかって広大な葡萄園をもち権勢をふるう地主だったが、祖父母、父母、ことごとく死に絶え、いまは身よりのない孤児として残っていた。そのホアンは彼以外に誰一人としていない廃屋に住みながら、彼はその廃墟の彼方から広がってくるふしぎな幻覚の世界と向かいあうことを常としていた。 その幻覚の世界ではいつも一人の男が砂漠を走っている。 「あれはいったい誰?」 彼の狂おしい自問が際限なく繰り返される。 そうした問いが解明される日。それはホアンの出生の秘密にもつながる、残酷で、しかも残酷であるがゆえに甘美な愛の物語が隠されていたのだった。 彼の母、リナは使用人のホアンと恋に落ちる。しかし冷酷なリナの父ドン・フランシスコは許そうとしない。ホアンを砂漠の彼方に追いやり、「生きたければ走ってこい」という。ホアンは走って走って走りぬく。しかし彼は砂漠からついに帰ることはなかった。 リナも悲劇的な死をとげた。 真相を知ったホアンの頬も大つぶの涙がぬらす。 ・・・・・・その夜、ヘルナンの一家は出発する、砂漠はなにごともなかったかのように今日も風紋を織りつづける・・・・・・。 張りつめた情感の美しさ 佐藤忠男 これは作者が情熱のおもむくまま、イメージのわき起るままに、一気呵成に奔放に撮りあげたような映画であると思う。そのイメージのみずみずしさといったらなく、ほとんどすべてのショットにおいてその映像の張りつめた情感の美しさに、作者自身がうっとりとしているありさまが目に浮かぶ。―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 本日の絶叫&一言’S。-----砂のみらぁぁぁああああじゅぅぅぅうぅ~~~~っ!砂のミラァァ~~ジュゥ~~~っ!砂のミラージュぅぅぅぅぅぅぅ~~~っ!砂の!みらぁぁぁぁぁああああじゅぅぅぅぅうううううううううっ~~~!すなぁのぉぉぉおおおおお~~~~!みらぁぁあああああああ~~~じゅぅぅぅうううううううううっ~~~~! と、まあ、こうして数回ほど、絶叫しておけば、ここをご覧になられた素晴しき御方は、しばらくの間、この「砂のミラージュ」ってぇタイトルを覚えておるに違いあるめぇっ!速攻で忘れたりしてなぁっ~!ぶはぁっ~!ぶげぇっ!ぶごぉっ! 乙な映画でっせぇっ~!文系にゃたまんねぇっすよ! あっしは大好きだったなぁっ!こういう感性だけで作っておるようなの! 何故か少しピンクがかって写っちまったが、チラシが雰囲気出てるなぁ~! なんちゅ~か!鏡をね、バリバリに細かく砕いて銀色の砂にして世界にぶちまけたような感じってぇか!そういう幻想味な美麗さっすなぁ! 実に「砂のミラージュ」っすよ!蜃気楼って、いいよなぁ~!ついつい乱歩の「押絵と旅する男」の魚津の浜の蜃気楼を思い浮かべちまわぁっ!ゾクゾクするぜぇー! でも、こういう抽象的なシーンの多い映画が嫌いな方はダメなんじゃねぇっすかねぇ!あっしは好きだったなー! 少年の頃は、こういう感覚的で斬新なのが大好きでやんしたなぁ!今もねぇ!蜃気楼を題材に不気味でシュールで美麗でグロテスクで硬質な映画、誰か作ってくんないっすかねぇ! そういや、この頃、南米の砂漠の幻想的な物語が結構あったよなぁ。これはペルーでしょ?もう少し後か、、、コロンビアのガルシア・マルケスの「百年の孤独」!ありゃー面白かったすよ!小説っすけどねぇ!この映画とちょっと似てるっすよ! 寺山修司の「さらば箱舟」がどう見ても殆んど、そのマルケスの「百年の孤独」の映画化っすよ! マルケスに文句つけられて、当初「百年の孤独」ってぇタイトルだったのを「さらば箱舟」に変えたんすよね、寺山さん。完成前に確か亡くなっちまったよな。でも、ちゃんと編集されて公開されたんよ! ガルシア・マルケスは、ノーベル文学賞取ったんすよね!ああ、あの頃の南米ものは素晴しかったなぁ!時が立ち全てが消え失せる・・・心の奥に“ひゅぅぅぅっぅ~~~~”っと一陣の諸行無常の風が痛切に吹くぜぇ! ああ!アウレリャーノ・ブエンディーア!ホ
「砂のミラージュ」:映画チラシ・第190回目
「砂のミラージュ」 有楽町そごう側 スバル座“幻想の砂漠が物語る 美しくも残酷な至上の愛! たわわな葡萄の季節は過ぎ 砂はひめやかに風紋を織る――― ”“ペルーの鬼才ゴドイが底知れぬ生の謎を 映像技法の限りをつくして 燃えたつ蜃気楼に映しだす衝撃の名篇!” (誰が書いたか知らねども!表に掲載されてるコピー文っす!)―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 裏面に、よりますとっ!■解 説 ミラージュ・・・・・・・・・・・・・・・蜃気楼 南米の砂漠のなかに、少年がみた不思議な蜃気楼。一人の男が、ひたすら砂漠を走り続けている。執拗なその幻影が、少年の心をうばい、出生以前の謎めいた過去へと少年をひきもどす。 「あの人は、一体誰だ?」 その呟きとともに、死者たちの住む過去に向う少年。 もう一人の少年がいる。貧しい生活のなかで、プロの選手になることを夢みて、サッカーに熱中している。その澄んだ眼は、未来の脱出口だけをみつめている。 二人の少年の意識と行動の対比を通じて、かって砂漠に生きた人々のロマンと、いまもなお砂漠にとり残されたように生きざるを得ない人々の、重い現実が描かれる。 限りなく美しく、同時に底知れない不気味さをたたえた砂漠の地表に、美しい愛のいとなみが、残酷な死が、音もなく移りかわる歴史が、未来に向う生の意志が、映像技法の限りをつくした鮮烈なイメージで描きだされる。 監督・脚本は、「みどりの壁」ではじめて日本に紹介されたペルー映画の鬼才アルマンド・ロブレス・ゴドイ。「みどりの壁」でみせた新鮮な映像、シャープな現実裁断が、ほとんどここでは色あせてみえるほど、その映像は凄味と深度を増し、人間の実存を見据える作家眼は、比類のない冷徹さで観る者に迫る。 撮影は実兄のマリオ・ロブレス・ゴドイ。音楽監督はエンリケ・ピネラ。「みどりの壁」の音楽監督でもあり、この映画ではヒット曲「コンドルは飛んでゆく」の作曲者ダニエル・アロミア・ロブレスの荘重にして流麗なテーマ曲をはじめとして、ギタリスト、ラウル・ガルシアの演奏によるペルーの16、17世紀の民謡を巧みにちりばめている。 72年シカゴ国際映画祭グランプリを受賞した衝撃的名篇であり、日本での公開を多くの人々から待望されていた作品である。■物 語 砂漠。 荒涼たる砂漠にポツンと取り残された小さな村落。そこに住む少年ヘルナンは薄明の中を一人走っていた。家族はまだ眠っている。少年は砂の上に簡単なゴールが立っているだけのサッカー場についた。いまのヘルナンにとってサッカーだけがすべてだった。貧苦から身を起し、サッカーの花形選手になって財をつくった先達が脳裏にうかぶ。 ボールを追い、ボールを蹴る無心の状態の中で少年は自分をとりまくすべてのことを忘れる。貧しさ、淋しさ、悲しさ、・・・・・・・・・。この日一家は少しばかりの希望を求めて首都のリマへ旅立つことになっていた。ヘルナンにとって村でさいごの試合なのだった。 彼にはホアン・ホセという親友がいた。 ホアンは彼と同じ十二才。きりりとした容貌の魅力的な少年である。彼の生活はかって広大な葡萄園をもち権勢をふるう地主だったが、祖父母、父母、ことごとく死に絶え、いまは身よりのない孤児として残っていた。そのホアンは彼以外に誰一人としていない廃屋に住みながら、彼はその廃墟の彼方から広がってくるふしぎな幻覚の世界と向かいあうことを常としていた。 その幻覚の世界ではいつも一人の男が砂漠を走っている。 「あれはいったい誰?」 彼の狂おしい自問が際限なく繰り返される。 そうした問いが解明される日。それはホアンの出生の秘密にもつながる、残酷で、しかも残酷であるがゆえに甘美な愛の物語が隠されていたのだった。 彼の母、リナは使用人のホアンと恋に落ちる。しかし冷酷なリナの父ドン・フランシスコは許そうとしない。ホアンを砂漠の彼方に追いやり、「生きたければ走ってこい」という。ホアンは走って走って走りぬく。しかし彼は砂漠からついに帰ることはなかった。 リナも悲劇的な死をとげた。 真相を知ったホアンの頬も大つぶの涙がぬらす。 ・・・・・・その夜、ヘルナンの一家は出発する、砂漠はなにごともなかったかのように今日も風紋を織りつづける・・・・・・。 張りつめた情感の美しさ 佐藤忠男 これは作者が情熱のおもむくまま、イメージのわき起るままに、一気呵成に奔放に撮りあげたような映画であると思う。そのイメージのみずみずしさといったらなく、ほとんどすべてのショットにおいてその映像の張りつめた情感の美しさに、作者自身がうっとりとしているありさまが目に浮かぶ。―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 本日の絶叫&一言’S。-----砂のみらぁぁぁああああじゅぅぅぅうぅ~~~~っ!砂のミラァァ~~ジュゥ~~~っ!砂のミラージュぅぅぅぅぅぅぅ~~~っ!砂の!みらぁぁぁぁぁああああじゅぅぅぅぅうううううううううっ~~~!すなぁのぉぉぉおおおおお~~~~!みらぁぁあああああああ~~~じゅぅぅぅうううううううううっ~~~~! と、まあ、こうして数回ほど、絶叫しておけば、ここをご覧になられた素晴しき御方は、しばらくの間、この「砂のミラージュ」ってぇタイトルを覚えておるに違いあるめぇっ!速攻で忘れたりしてなぁっ~!ぶはぁっ~!ぶげぇっ!ぶごぉっ! 乙な映画でっせぇっ~!文系にゃたまんねぇっすよ! あっしは大好きだったなぁっ!こういう感性だけで作っておるようなの! 何故か少しピンクがかって写っちまったが、チラシが雰囲気出てるなぁ~! なんちゅ~か!鏡をね、バリバリに細かく砕いて銀色の砂にして世界にぶちまけたような感じってぇか!そういう幻想味な美麗さっすなぁ! 実に「砂のミラージュ」っすよ!蜃気楼って、いいよなぁ~!ついつい乱歩の「押絵と旅する男」の魚津の浜の蜃気楼を思い浮かべちまわぁっ!ゾクゾクするぜぇー! でも、こういう抽象的なシーンの多い映画が嫌いな方はダメなんじゃねぇっすかねぇ!あっしは好きだったなー! 少年の頃は、こういう感覚的で斬新なのが大好きでやんしたなぁ!今もねぇ!蜃気楼を題材に不気味でシュールで美麗でグロテスクで硬質な映画、誰か作ってくんないっすかねぇ! そういや、この頃、南米の砂漠の幻想的な物語が結構あったよなぁ。これはペルーでしょ?もう少し後か、、、コロンビアのガルシア・マルケスの「百年の孤独」!ありゃー面白かったすよ!小説っすけどねぇ!この映画とちょっと似てるっすよ! 寺山修司の「さらば箱舟」がどう見ても殆んど、そのマルケスの「百年の孤独」の映画化っすよ! マルケスに文句つけられて、当初「百年の孤独」ってぇタイトルだったのを「さらば箱舟」に変えたんすよね、寺山さん。完成前に確か亡くなっちまったよな。でも、ちゃんと編集されて公開されたんよ! ガルシア・マルケスは、ノーベル文学賞取ったんすよね!ああ、あの頃の南米ものは素晴しかったなぁ!時が立ち全てが消え失せる・・・心の奥に“ひゅぅぅぅっぅ~~~~”っと一陣の諸行無常の風が痛切に吹くぜぇ! ああ!アウレリャーノ・ブエンディーア!ホ
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